日本で最も多い名字「佐藤」そのルーツは平安時代の貴族・藤原秀郷
佐藤氏と言ってもその出自は多くの謎
佐藤氏は日本で最も多い名字であり、そのルーツは平安時代中期の貴族である藤原秀郷にまで遡ります。秀郷は下野国(現在の栃木県)の大掾藤原村雄の子であり、巨大百足退治の伝説が有名ですが、その来歴ははっきりとはしていません。佐藤氏と言ってもその出自は多くの謎に包まれています。
「佐藤」という名字は、官職である「左衛門尉」に代々任ぜられたことや、「藤原氏」を祖とすることに由来すると考えられています。歴史上の人物では、平安時代末期に源義経の側近として忠義を尽くし、『平家物語』にもそのエピソードが描かれている佐藤継信・忠信兄弟がよく知られています。佐藤兄弟は、奥州藤原氏に仕えた佐藤基治の子とされ、その一族は陸奥国信夫郡大鳥城(福島県福島市飯坂町を本拠地として勢力を振るっていました。
歌人の西行法師の俗名は佐藤義佐藤義清
また、ほぼ同じ時代に生きた歌人の西行法師は、俗名を佐藤義佐藤義清といい、紀伊国の佐藤一族に属していました。どちらの佐藤氏も、朝廷に仕える貴族というよりも地方豪族出身者であり、朝廷の警固守衛として活動していた武人でした。平安時代末期以降、佐藤氏は歴史の舞台からは姿を消しました。そのため、政争に巻き込まれることもなく、中堅豪族として各地に分散し栄えたのでしょう。
東日本に特に多く分布
佐藤姓の分布は東日本に特に多く、特に福島県以北で濃密に分布しています。人口比では宮城県、山形県、秋田県では7%を超え、福島県、岩手県も5%を超えています。この分布から、佐藤兄弟を生んだ陸奥国信夫の佐藤氏が、現在の佐藤姓のルーツであることは明らかです。
佐藤氏の代表的な家紋である源氏車紋



佐藤氏の代表的な家紋である源氏車紋は、信夫佐藤氏が南北朝時代に伊勢国に転封され、伊勢神宮の外宮に奉仕し、奉献品の運搬に用いた牛車を記念して家紋として用いられるようになったと伝えられています。源氏車という名称を用いるのは、佐藤兄弟が源氏の御曹司義経に仕えたという由緒を強く主張したかったためではないでしょうか。
また、佐藤氏は藤紋も多く用いています。藤紋は藤原氏の象徴的な家紋と考えられがちですが、系図上で遠く離れた者が、自身の家の出自が藤原氏の血統につながることを主張するために藤紋を用いたと考えられています。
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